« 憲法事始【転載】 | トップページ | 立憲主義の危機~国家権力が憲法改正を主導していいのか~ »

2013年5月 3日 (金)

銃が鳴りひびく時には,ミューズは沈黙する~憲法が憲法でなくなる日~


 昨年末の安倍首相の登場によって,俄に時代の方向性というか民主主義の退潮が目に見えてはっきりとしてきたように思う。もっとも特定の政治指導者のキャラクターが時代の方向を決めるものではない。むしろ,時代がアベという政治的人格を選び取った側面もある。つまり,時代の精神性がアベ化しつつあるのは否定できまい。その傾向は安倍政権による教育改革・経済政策・防衛強化に対する国民の一定の支持に表れている。そして,そのアベ化の最重要指標は憲法改正である。世論調査によらずとも,国民の意見の趨勢が改憲に傾きつつあることは事実であろう。だが国民の多くが,改憲すなわちアベ化が何をもたらすかをよく分かっていない。

 アベ自民党がやろうとしている憲法改正は,個人(国民)の自由や権利を国家権力の濫用から守るという,憲法が憲法であるべき前提(すなわち立憲主義)を外して,国家が国民を縛るために憲法を権力に内部化しようとするものである。そこでは憲法は憲法でなくなり,一統治手段と化す。このような議論は巷でよく見られるだろうから,これ以上は論じない。今日言いたいのは,これからおよそ10年くらいかけて憲法改正およびそれに連携した三大改革(教育・経済・軍備)が実現されていけば,精神的にも世俗的にも国民の自由・権利は大きく制約され,強大な権力と権威を持ったモンスターが現れるだろう,ということ。特に憲法改正や教育改革で,個人の内面への干渉や道徳の強制に道を開いているところが恐い。そこにカリスマ的個性を持った政治家が登場してくれば,精神的権威と世俗的権威が一体化したテオクラシー的政治状況が現出するのではなかろうか。憲法とは名ばかりになる!誰かが冗談で「憲法を廃止すれば違憲状態もなくなる」と言っていたが,まさにそのようにして国家権力のチェック機能が失われる。

 時代の流れといって傍観しているわけにはいかない。何をなすべきか。ありきたりな結論だが,結局は市民の批判的理性の回復というところに行き着くのではなかろうか。ところで今,私は旧ソ連でロシア・マルクス主義の異端とされたボグダーノフからトロツキーに至るまでの抵抗の跡を追っているが,それは一つには,そこに状況打開の手がかりがあるのではないかという直観による。1930年代のソ連におけるスターリン政治体制の成立過程を見ていると,現在のアベ化現象と重なる状況が多々見てとれる。何故,ソ連はスターリン独裁を防げなかったのか。もちろん簡単に答えの出る問題ではないが,その問いは今の日本にも投げられているように感じるのである。その問いへの思想的・理論的アプローチとして,トロツキーとスラッファが重要な手がかりを与えてくれているように見える。現在,格闘中。あえて流行の思潮に抗して。

 今日は最後にトロツキーの文化・科学論から,印象に残った文言をメモ代わりに記す。

 「プロレタリア文学」とか「プロレタリア文化」といったような用語は,文化の未来を今日の狭い枠内に押し込む虚構であり,展望をでっちあげ,均衡を破壊し,規模を歪め,危険きわまりないサークル的高慢さを培う以上,ますます危険である。(トロツキー『文学と革命』岩波文庫,上巻p.279)

 今日,マルクス主義心理学,マルクス主義自然科学,等々に言及されるのをよく目にする。これらはすべて,現実よりはむしろ願望を表している。事情は,プロレタリア文化や,プロレタリア文学に関するさまざまな言説と同じである。これらの言説は,確固たる根拠をまったくもたないうぬぼれをうちに秘めていることがよくあるものだ。(トロツキー「官僚主義の哲学的諸傾向」『トロツキー研究』7p.20)

 芸術における革命思想へ向けて闘いはいま一度,芸術的真実――いかなる芸術潮流の道筋にも関係なく,ただ自らの内的自己に対する芸術家の不易の信頼の道筋の上にある――へ向けての闘いとともに開始されなければなりません。これなくして芸術はありません。
 「嘘をつくなかれ!」―――救済の処方はここにきわまるのです。(トロツキー『革命の想像力』柘植書房,p.208)

|

« 憲法事始【転載】 | トップページ | 立憲主義の危機~国家権力が憲法改正を主導していいのか~ »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/171164/57302560

この記事へのトラックバック一覧です: 銃が鳴りひびく時には,ミューズは沈黙する~憲法が憲法でなくなる日~:

« 憲法事始【転載】 | トップページ | 立憲主義の危機~国家権力が憲法改正を主導していいのか~ »