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2013年3月26日 (火)

日本の農のアジヤ的様式

日本の農のアジヤ的様式について  真壁仁
越後平野の百姓も,手で畔を撫でていた。
畔は落差を支えながら,山山の谷間までのびて棚田をつくっている。
畔に水が湛(たた)えられると,日本の全風景は大きな湖となってしまう。
そこに禾本(かほん)科の草が実をむすぶのだ。
(中略)
アジヤの南では湿地に自生していた。
この島には
弥生式の文化にともない,中国を通ってきたという。
あるいは黒潮にのって大スンダ列島を出てきたのでもあろう。
ぼくらは森林を焼きはらって火耕の農をいとなんだあと,しだいにこの種の北限をすすめてきた。
ぼくらの手がまだ鉄を鍛える前から,その生産の原形式はきまっていた。
それはアジヤの全域に共通していた。
そして
現代の手もそのときのように畔をなでている。
機械はまだ泥ふかい水の中にはいってこない。
山の傾斜を匐(は)いあがりもしない。
なぜ!とそれは問われなければならない。
ぼくらは
手がリーパアになっていることについて,
モーアに代っていることについて,
手が精密で器用であることについて,
精神も手になっていることについて,
葦原の葦より多い手の数について考えなければならぬ。
つくられた農機すら赤く銃びて雨にさらされている。
それが,みだりに手を殖やすなとさけんでいるのを知らなければならぬ。

 上は山形の詩人・真壁仁の有名な詩。この詩が書かれた戦後間もない時期,日本の農業はまだ,「手がリーパア(刈り取り機)になっている」「精神も手になっている」段階を脱していない。それを「生産の原形式」「アジヤ的様式」と表現していることから,マルクスのアジア的生産様式の規定さえも彷彿させる詩である。真壁は,この後れたアジア的な農耕からの解放を機械化に託しているように見える。

 今,TPP参加によって壊滅させられようとしているのは,真壁が描いたアジア的生産様式ではない。先進文明国の資本が後れた社会に文明の光を当てるというのではない。すでに一定レベルの機械化を達成し,その意味で近代化した日本の農業が,アメリカの巨大農業資本によって侵略され破壊させられるということなのである。詩中に「北限をすすめてきた」とあるが,特にその極北にある北海道の農業が危機に瀕する。北海道の大規模で近代化された農業が破壊させられるということの意味と衝撃を認識すべきである。弱小零細経営の農家が潰されるだけではない。日本の農業生産基地である北海道が潰されるということなのである。TPP参加には,単に農家への同情論で反対するのではなく,農業生産力の破壊,国内市場の縮小という観点から反対すべきである。でないと,単なる農民哀歌に終わってしまう。

 農業被害額3兆円という政府の試算にしても,例えば,てんさいの場合,てんさい農家だけでなく,精糖工場や機械メーカーなどの関連産業にも被害は及ぶから,全く信用の置ける数値ではない。しかも,そこでは失業者が出るから,雇用への影響も小さくないだろう。雇用情勢の変化も計算に入れれば,TPP参加は実質GDPを3.2兆円押し上げる効果があるという政府試算も大幅に見直されなければならない。北海道の農家や農業関連産業で働く人たちは,もはや北海道では生きていけなくなる。本土で再就職といっても,簡単に見つかるものではない。

 真壁の夢を夢で終わらせないためにも,農業政策は日本農業の生産力の増強という視点から行われるべきだ。政府の試算でさえTPP参加によって食料自給率は40%から27%に落ちる。その国の産業の基礎をなし,生活習慣や文化歴史に密着している農業を無闇に外国農業との競争にさらすべきではない。また食料を外国に依存することの危険は言わずもがなだ。日本の政策担当者に,それくらいの思慮すらないのならば,北海道は沖縄と同様,日本からの独立を考えた方がよいかもしれない。

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